「多紀連山のクリンソウを守る会」の結成 会長 樋 口 清 一 (2018.05.20)
今も忘れることが出来ない日である。10年前の平成19年8月30日に小雨の中で初めてクリンソウ群生地の中に足を踏み入れた。感動より驚嘆で足が震えたのを覚えている。この日の半月前の8月中旬に篠山鳳鳴高校9回生3人の訪問を受け「多紀連山にクリンソウがあるのを知っているか」と聞かれた。「勿論知っている」と答た。数十年前に丸山集落奥の渓流の源流に近い所で数十株を見ていたのでそう答えた。しかし聞くとそれとは別の場所で、御岳登山道にあると云う。そこで案内してもらって現地に行った。確かに登山道の途中の谷に5m×5mほどの広さにクリンソウの葉が群がっていた。聞くと6月上旬に上の登山道からここの花が見えたのでクリンソウと確認したという。私もこの場所は初めてで驚いたし、登山道に近いのに今までなぜ気が付く人がなかったのか不思議に思った。思えばササが谷を覆い登山道から見えなかったが、最近ササが枯れて谷底が見えたのであろうと推察した。この谷にこれだけあるのなら、谷を下れば少しは種が流れて下流にもあるかも知れないと暗い谷を100mほど下った。すると谷が開けて合流地に出た。その合流の谷間にキャベツ畑かと思うほどクリンソウの大きな葉が群がっていた。さらに谷上に進むと谷は広い台地になり、台地は数段あり、それら一面がクリンソウの葉で埋められていた。息を呑むとはこのことかと今も鮮明に覚えている。勿論8月末なので花は一切なく、ただあの蒼黒い大きな葉が埋め尽くしていた。この日が私のクリンソウとの関わりの初日になったのである。この段丘は何なのか。この場所は誰の所有なのか。谷下流は何処に出るのか。シカの多い山で野菜畑のような葉がなぜ残るのか、五輪塔が散乱しているが誰の墓か。広さは。何本の花が咲くのか。調査すべきだがどうすればいいのか。咲く時期は桃源郷なのになぜ今まで知られなかったのか。保護するにはあまりに大きい範囲で隠せないがどうすればいいのか等々。 最初の発見者篠山鳳鳴高9回生仲間を中心に10余人が集まり話し合った。保護したいたが最大の問題は公開か否かである。非公開は保護になるのか、やがて知られ、ネットの時代だ、すぐに広がり荒れる。では公開は保護になるのか、皆に周知されることで他人の目を気にして荒れるのは防げるのでないかと。「公開と保護」と相反することに取り組むことになり「多紀連山のクリンソウを守る会」結成になった。会結成の趣旨「この会はクリンソウを多くの人に見ていただくのは良いが、観光に傾いてはならない。あくまでクリンソウの自生地を守ることが使命である」を貫いている。観察道の整備に始まり、植生調査、パンフレット、案内標識作り、組織作りに役割分担、会員集め、資金調達等をすべて手作りでやってきた。10年を経過し、振り返えると多くの人や団体にお世話になりました。100名を越す会員の皆さんを始め、地権者・地元の皆さん、みたけ里づくり協議会、市教育委員会、丸山地区他多くの団体の支援をいただいている。厚く御礼を申し上げます。
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